走り出してしまったわれわれ Part2

中目千之、三原一郎


<Part2 of 2parts> 三原 一郎

それは咋年(平成8年)3月初めの頃だったと思う。理事の中目千之先生から、ちょっと話があるから、食事にでも行かないかと誘われた。ちょうどその頃NHKで「電子立国日本というコンピュータを題材にしたシリーズを放映中であった。話の上手な中目先生は、この番組を持ち出し、ビルゲイツが当時OSの主流になろうとしていてCPMを買い取っ、少しの変更を加えてMS-DOSとして売り出し.それが現在のマイクロソフトの隆盛を築く出発点になった話や.ビルゲイツってプログラマとしてより商売人としての能カがすごいんだとかの話に花を咲かせていたのだが、話が一段落した後、「どうだ医師会に入ってコンピュータを活用してみないかと誘いの言葉をかけてきた。今日は、これで誘われたんだなと冷静に敵の作戦を見抜くことはできたものの、酒とコンピュータのダプルパンチにはかなわず「やってみます。とあっ さり承諾してしまった。

しかし、承諾をしたものの、医師会の中でコンピュータをどう活用していけばよいのか、当時は皆目見当がつかなかった。その頃は、すでにインターネットがかなり普及し始めていて、コンピュー夕の利用法が、従釆のワープロや表計算をするスタンドアロンとしての使い方から、ネットワークを介したコミュニケーションの手段としての使い方に大きく拡大してきた時期でもあった。

医療の中でコンビュータを活用するには、やはりネットワークを介してお互いが交信できる環境を構築すること、すなわちインターネットと同じ手法で、相互に医療情報、患者情報を参照、交換できるシステムを地域の中で構築したいと考えるのは当然のなりゆきであった。いわゆるイントラネットによる地域医療情報ネットワークの構築を 目指したのである。しかし、そうはいってもどう実現すればよいのだ。業者に依頼するのか。でも、それでは我々の思ったようなものは作れないであろうし、お金も相当かかりそうだ。やはり、自分たちで自分たちのための便いやすいネットワークを構築していくしかない 、というのが私の結論であった。

それからはさまざまな実験の連続である。まず、Windows NTserverというネットワータの核となるOSを買ってきて、私の持っているパソコン3 ・ 4台をネットワーク化し、ネットワーク構築のためのざまざまな設定法を検証し、次にそのネントワークに電話回線で接続できるか、また電話回線で接続したマシンからネシトワークを参照できるか 、さらにホームベージを提供するWWWサーバーやメールのやり取つを司るメールサーバという機能を組み込み、電話回線からホームペジをみることができるか、メールを出すことができるか 、など順を追って実験を繰り返した。その前に通信の基礎についても一から勉強しなければならなかった。IPアトレス、TCP/IP、GATEWAY、DNS、DHCP、WlNS等々は、すべて本を読み 、また自分で実験しながら身をもって覚えていった。また、ホームペジを作成するための言語であるHTMLも習熟する必要がある。その勉強ついでに私の医院のホムベージも開設した。

最後に残った問題はHTMLからどうやってデータペースをアクセスするかであった。本当に有用な情報を提供したり、共有したりするためには、HTMLとデータベースを連携ざせることは必須であり、そのための方法を模索しながらいろいろなアプリケーンョンを試みた。これら機能を提供するアプりケーションをインタネットからダウンロードしたり、買ってきたりして便い勝手や機能をチェックするのであるが、日本製のものほとんどなくとんどなく英語のマニュアルを読んだ りするのを含めて、結構な時間を費やした。最終的にアメリカからの通販で買ったcold fusionいうアプりケーンョンを利用してHTMLとデータベースを連携させることに成功したのだが 、この部分は解説書も少なく、最も苦労したところであった。これらの実験プロジェクトの余禄として、私の医院のサーパーには、薬剤管理テータベスなるものができあがり、ネットワーク上のどのパソコンからもプラウザを介して、薬剤情報を閲覧したり 、薬剤の効能、副作用などを記載した医療情報提供書を印刷できるようになった。このような手順を踏んで、昨年の末ごろには医師会にサ-パ-を置いたイントラネント構築の見通しがついた。

1997年は、いよいよわれわれ医師会のパソコン医療情報ネットワーク元年である。スタートするにあたって情報ンステムを3つの柱に分けた。ひとつは、医師会にサーパーを置いた医師会、会員、看護ステーションなどを相互に結ぷ医療情報ネットワークの構築。2番目として、医師会内のパソコン教育を含むOA化、3番目として検診、検査システムのパソコンレペルヘのダウンサイジングと医療情報ネットワークとの融合である。

医療情報ネットワークの構築は、まずインターネット上にホームページを開設することから開始した。打ち合わせに約2ケ月、作成に約lケ月、ホームページは関係者の努カであっという間に完成し4月から正式にインターネント上で公開することかできた(東北地方の医師会として一番乗りと思う)。内容は他の医師会のホームページと比較しても遜色のない出来栄えと自負している。この間、医師会内の多くのスタッフにホームベージの作成に協カしてもらい、ホームページの作り方を学んでもらった。ホームページを作成できる人をある程度確保しておくことは、ホームページの運営維持には必須と考えたからである。医師会内のサーバーは、ごく普通のパソコンにサーパー機能を組み込み5月には試験運用を開始した。この頃に医師会から半額負担 、というかたちで希望会員約20名にパソコンを配布した。会員のパソコン設置に当たり、業者に協力してもらい、医師会のサーパーになるべく簡単に接続できるように設定に便宜を図ってもらった。その後、サーバー専用機2台(とはいっても1台30万目程度のもの)と、医師会内に5 ・ 6台のパソコンを各部門に設置し、それらをネットワーク化することで、医師会内の各部門から会員への情報のやり取りができるようにし、サーパーが本格稼動を開始したのは、6月に入ってからのことてある。その後ISDN回線を4本まで増設し現在に至っている。

現在、医師会、看護ステーンョン、会員約50名でネットワークを構成しているが、医師会サーバーには毎日60、70回のアクセスがあり、よく利用されている。医師会サーバでは.データペースを中心に据えて、行事予定、各メディアから最新の医療情報を提供するニュース速報、日医インターネットニュース、会員情報、コミュニケーンョンの場としての電子伝言板、などのざまざまな情報、サービスを提供している。また、われわれのネットワークの特徴として.在宅医療患者をデータベース化し、かかつつけ医制度における在宅医療の側面的支援として活用していることが挙げられる。現在、112名程の在宅患者の情報が蓄積され、これら情報は医師や看護婦が往診するたぴに更新されている。登録された会員であれば、どこからでも電話回線を使って患者データにアクセスてき、患者の最新情報を参照することができるので、依頼を受けた医師にとって、また救急医療の際にも有用なンステムになると期待される。さらに、医師会と会員、看護ステーンョンとは、簡単な操作で相互に画像情報を含めたメールのやり取りができるようになっている.メーリングリスト(特定の会員で構成された宛名。この宛名にメールを出すと会員すべてに配信される。)もいくつかあり、かか りつけ医や健康保険法改正の間題などがディスカッションされる場になっている。また、医師会役員で構成された電子役員会なるメーリングリストもあり、緊急の議題や.それほど重要でない間題などはこれを利用して討議されている。

これら、医療情報ネットワークの構築と並行しながら、医師会のOA化にも取り組んだ。まず.職員を対象としたパソコン講習会を何度か行い、パソコンの基礎知識から始め、仕事のなかでコンピュータ化できることを洗い出し、それらをどのような形でコンピュータで実現できるかを勉強してきた。このなかでまず手をつけたのが今までOA化が最も遅れていた経理部門である。とくに.検診データの処理は.従来過去の伝票をめくりながら手作業で数を数えたり 、統計処理をするという面倒なことをしていたので、これを自動化することを課題とした。この分野は例外的事項が多くコンビュータ化するには、最もやっかいな分野であるが、とにかくまず難関から突破しようということで取っ組みを開始した。私自身がアクセス(データベースアプリケーションの商品名)を使ってプログラムするのであるが、プログラムする以前にドック、基本健診、事業所検診、癌検診などという、健診の種類や内容、市や町村、事業所によっ金額が違うこと、また員担額がそれぞれ異なっていることなどを、経理課の人に教わらなければならなかった。このために、何度か医師会に足を運ぴ、これを理解した上で、プログラムし、テストし、手直し、テストするということを繰り返し、ある程度使える 目処がついたのは、やっと最近のことで、このブロジェクトを開始してすでに3、4ケ月経過していた。医師会内にはあらゆる部門て、まだまだコンピュータ化できるところはたくさんあり、今後は、スタッフが率先してコンピュータを活用する努力をしていってもらいたいと考えている。

最後の柱である、検診検査ンステムのパソコンネットワークヘの移行であるが、これはいわゆる業務部門であり、失敗の許されないクリティカルな分野であるので、実績のある業者に委ねることとした。現在、業者を選定中であるが、クライアントのパソコンはwindowsにしてもらい、業務用のパソコンも医療情報ネットワークの一員として機能するように設計してもらうつもりである。そうすることにより、現在稼動しているネットワークと検診、検査データベースが融合することになり、会員や各施設から容易に検診や検査のデー夕にアグセスすることができる。このシステムは1999年度中に動き出す予定である。

以上、構想から1年ちょっと、ものすごい勢いで進んできた我々のパソコンネットワーク構築のいきざつについて述べた。毎日少なくとも10通のメールを受信し、ざまざまを議論や情報をネット上でやり取りするのが習憤になってしまった現在、今から1年前には何もなかったことを振り返ると、決して自慢するわけではないが、よくこの短期間にこれだけのシステムを作り上げたと思う。これは、私がコンビュータを好きだということも一つの理由ではあるが、自分の能力を発揮することで、地域医療の向上に責献てきるという善びが原動力になっていたのだと思う。

(山形県医師会会報 平成9年9月 第553号 13ページ)